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東京地方裁判所 平成8年(ワ)9175号 判決 1998年3月18日

原告

有限会社平野商事

右代表者取締役

平野トキエ

右訴訟代理人弁護士

小林伴培

被告

乙田太郎

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一  請求

被告は原告に対し五〇〇〇万円及びこれに対する平成八年五月二三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

本件は、被告に訴訟を委任した原告が、被告は原告の訴訟代理人として訴訟上の和解により相手方から受領した一億円を第三者に交付して同人に費消され、原告に同額の損害を蒙らせたなどと主張し、被告に対し、債務不履行に基づく損害賠償として、右損害金の内金五〇〇〇万円の支払を求めた事案である(遅延損害金の始期は訴状送達の翌日である。)。

一  争いのない事実等(証拠を掲記しない事実は当事者間に争いがない。)

1  当事者

原告は、平成四年当時、原告の事務所兼原告代表者平野トキエ(以下「トキエ」という。)の住居として、千葉県松戸市日暮字木戸場三四九番地七所在の土地建物(以下「本件土地建物」という。)を所有していた。

被告は、東京弁護士会所属の弁護士である。

2  被告への訴訟委任

(一) 原告は、平成四年当時次の三件の訴訟を抱えていた。

① 水戸地方裁判所日立支部平成四年(ワ)第三二号事件

茨城県日立市久慈町四丁目のリゾートマンション建設工事に関し、請負業者である鈴縫工業株式会社(以下「鈴縫」という。)は発注者である原告に無断で原告所有の係るマンション建築予定地の所有権移転登記を経由したとして、原告が鈴縫に対し、右所有権移転登記の抹消登記手続を求めた事件である(以下「訴訟①」という。)。

② 千葉地方裁判所松戸支部平成四年(ワ)第二〇三号事件

石井信治(以下「石井」という。)は原告の代理人として後藤勝治(以下「後藤」という。)から金員を借り受け、その担保として本件土地建物について譲渡担保を原因とする所有権移転登記を経由したが、石井の代理権は在しなかったとして、原告が後藤に対し、右所有権移転登記の抹消登記手続を求めた事件である(以下「訴訟②」という。)。

③ 千葉地方裁判所松戸支部平成二年(ワ)第二八六号事件

北陽住宅株式会社(以下「北陽住宅」という。)は、原告に対し本件土地建物を代金二億六七〇六万円で売却したにもかかわらず、原告から一億円の支払を受けたのみで残代金の支払がないので売買契約を解除するとして、北陽住宅が原告に対し、本件土地建物の引渡し等を求めた事件である(以下「訴訟③」という。)。

(二) 原告は、訴訟①を片平幸夫弁護士に、訴訟②及び③を山田和男弁護士に、それぞれ訴訟委任して訴訟追行していたが、平成四年五月ころ株式会社貢立(以下「貢立」という。)と代表者近藤衛貞(以下「近藤」という。)から被告を紹介され、その後、被告を訴訟①ないし③の訴訟代理人に選任した(原告代表)。

3  訴訟①の審理経過等

(一) 原告は、訴訟①について、平成四年一二月二二日鈴縫との間で、原告が鈴縫に対し、茨城県日立市久慈町四丁目所在の八筆の土地等を代金一億円で売却し、鈴縫が平成五年一月二〇日限り原告の訴訟代理人であった被告の事務所に右売買代金を持参又は送金して支払うなどの内容の訴訟上の和解(以下「本件和解」という。)をした(甲第一四号証)。そして、被告は、平成五年一月一一日鈴縫から右売買代金一億円(以下「本件金員」という。)を受領した。

(二) その後、原告は、同月二一日貢立との間で、原告が貢立に対し本件金員一億円を本件土地建物の買取資金として預託することおよび貢立が右一億円の範囲内で本件土地建物の買取資金、弁護士費用その他の経費の一切を賄うものとすることなどを記載した覚書(甲第一号証の一。以下「本件覚書」という。)に押印した。

そして、被告は、貢立(ないしはその代表者である近藤)に対し、右一億円を四回(同年三月一五日に三七〇〇万円、同月二九日に一〇〇〇万円、同年四月二〇日に四八〇〇万円、同月二二日に五〇〇万円)に分割して交付した。なお、被告は、貢立と相談の上、同年三月一五日交付分の三七〇〇万円のうち八〇〇万円を弁護士費用として受領した。

しかし、貢立は、被告から受け取った九二〇〇万円をすべて費消した。

4  訴訟②の審理経過等

(一) 他方、訴訟②については、石井が、同年一月二六日の証拠調期日において、「後藤から、三か月後に七二〇〇万円返済するとの約束で六二〇〇万円を受け取った。」という趣旨の証言をし、後藤が、同年五月二七日の証拠調期日において、「後藤は石井に対し、七〇〇〇万円を交付し、内五〇〇万円を謝礼金として受け取った。」という趣旨の供述をした(甲第二、第三号証)。

(二) 同年七月二二日原告の請求を棄却する判決が言い渡され、その後、右判決は確定した(甲第一七号証)。

(三) そして、後藤は、本件建物を占有していたトキエに対して本件建物の明渡しを命じる確定判決を得て、平成七年六月八日右確定判決に基づき本件建物の明渡しの強制執行を行なった(甲第一七号証、第一九号証の一、二)。

二  原告の主張

1  被告が「常に、深い教養の保持と高い品性の陶やに努め、法令および法律事務に精通しなければならない」(弁護士法二条)弁護士であること、事件屋である近藤ないし貢立に対し一億円近くもの金員を預けることの危険性を考慮すれば、原告から訴訟委任を受けた被告は、受任者として、原告を説得してでも鈴縫から受け取った本件金員を自ら保管すべきであった。

しかし、被告は、委任契約上の右義務に反し、近藤の意向に沿い、原告の権利には配慮しない内容の本件覚書を自ら作成した上、近藤に対し本件金員を交付し、これによって、原告は、本件金員全額を失い、同額の損害を蒙った。

よって、被告は、原告に対し、右損害を賠償する義務を負うものというべきである。

2  被告は、鈴縫から受け取った本件金員を本件土地建物に対する原告の所有権を確保するための資金として使用すべきことを認識していた。

他方、訴訟②における石井の証言がなされた平成五年一月二六日に、本件土地建物に設定された後藤の譲渡担保権の被担保債権は平成四年三月二日付の七二〇〇万円の貸金債権であることが判明しており、とすれば、右元本に平成五年一月までの利息制限法の範囲内での利息ないし遅延損害金を付加したとしても、その合計額は一億円に満たないから、訴訟②については、平成五年一月二六日の時点において一億円の範囲内で和解をすることは可能であったはずである。

したがって、被告は、受任者として、本件金員をもって訴訟②の和解を成立されるべく努力するべきであった。

しかし、被告は、そのような努力を怠り、本件金員を近藤に交付し、近藤に本件金員すべてを費消されたことにより、訴訟②の和解を成立させることができず、これにより、原告は、本件土地建物の所有権を喪失するという損害を蒙った。本件土地建物の時価は七二〇〇万円を下らない。

よって、被告は、原告に対し、右損害を賠償する義務を負うものというべきである。

三  被告の主張

被告の近藤に対する本件金員の交付は原告の意思に基づくものであり、かつ、右交付当時、訴訟②について一億円の範囲内で和解が成立する見込みはなかった以上、被告に債務不履行責任はない。

四  主要な争点

被告が近藤に対し本件金員を交付したことが原告との委任契約上債務不履行を構成するか。

第三  争点に対する判断

一  前記の争いのない事実等に加え、甲第一号証の一、二、第二、第三号証、第五ないし第八号証、第一一号証、第一六ないし第一八号証、第一九号証の一、二、第二〇、第二一号証、第二六号証の一、二、乙第一号証、第三、第四号証、証人近藤衛貞、原告代表者本人及び被告本人の各供述並びに弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

1  当事者等

(一) 原告及びトキエ

原告は、ホテル経営及びマンション建築などの不動産業を営み、平成四年当時本件土地建物を所有していた。

原告の代表者であるトキエは、大正一二年三月二九日生まれの女性であり、平成四年当時本件建物に娘一人と同居していた。

(二) 被告と貢立ないし近藤との関係

貢立は、不動産競売事件に関与し、入札、落札及び競売物件の売買の仲介、管理等を業としている。

そして、被告と近藤は、約二〇年来の知り合いであり、被告は、十数年にわたり、貢立の法律顧問として右業務に関する法律問題について相談を受け、また、訴訟事件を抱える者の紹介を受けるなど事件の周旋を受けてきた。

(三) 原告と貢立ないし近藤との関係

原告は、平成四年五月ころ近藤から被告を紹介された。その後、原告は、同年八月一日有限会社サンロード及び友部ホテルグリーン(以下「サンロード等」という。)の代理人として、貢立に対し、サンロード等経営に係るモーテル営業管理を委託し、同月一〇日貢立に対し、原告所有に係る一切の不動産の売却処分、これに伴う権利関係の整理、債権債務関係の整理等一切の業務を委託するなどした。

2  被告への訴訟委任

原告は、右のとおり、近藤から被告を紹介されたことから、訴訟①ないし③について、いずれも従前の訴訟代理人を解任した上、平成四年五月ころ被告に対し、訴訟①ないし③の訴訟を委任した。

3  訴訟①及び②の審理経過等

(一) 本件和解

原告は、訴訟①について、平成四年一二月二二日鈴縫との間で本件和解を成立させ(ただし、原告は、和解期日に出頭しなかった。)、被告は、平成五年一月一一日鈴縫より本件金員を受領した。

(二) 訴訟②についての和解交渉

他方、訴訟②について、被告が、受任後和解交渉を進める中で、後藤は、本件土地建物の登記名義を原告に戻すための和解金として一億二、三千万円を要求した。被告は、訴訟①により得られる本件金員一億円を訴訟②の和解金として使用することを考えていたが、一億円では後藤の要求額に届かなかった。

そこで、被告は、平成四年一二月ころトキエに対し、訴訟②の和解金について金策を要請し、トキエは、同月一八日太田隆を被告事務所に同道し、金策について話し合うなどしたが、結局、後藤の要求額と訴訟①により得られる本件金員との差額の調達は、近藤が行うこととなった。

(三) 被告の貢立に対する本件金員の交付

(1) 本件覚書の作成

そこで、被告は、平成五年一月ころ本件覚書の文案を作成し、これを近藤に交付した。近藤は、同月二一日原告に対し、右文案を示したところ、原告はこれに押印した。

また、原告は、同日、「水戸地方裁判所日立支部平成四年(ワ)第三二号事件について(相手方鈴縫)和解金壱億円也を株式会社貢立にお渡しください。」などの記載が在する「承諾書」と題する被告宛の書面(乙第一号証)を作成し、これに記名押印した。

(2) 本件金員の交付

そこで、被告は、貢立に対し、本件金員一億円を四回(同年三月一五日に三七〇〇万円、同月二九日に一〇〇〇万円、同年四月二〇日に四八〇〇万円、同月二二日に五〇〇万円)に分割して交付し、同年三月一五日交付分の三七〇〇万円のうち八〇〇万円を弁護士費用として受領した。

なお、原告は、平成六年四月六日古屋亀鶴弁護士を通した調査の結果、右交付の具体的な態様を知った。

(四) 訴訟②の帰すう

石井は、平成五年一月二六日の証拠調期日において、後藤から本件土地建物の被担保債権である貸金として六二〇〇万円を受領したという趣旨の証言をし、後藤は、同年五月二七日の期日において、石井に対し七〇〇〇万円を交付し、内五〇〇万円を謝礼金として受け取ったという趣旨の供述をした。

その後、被告は、貢立に対し、後藤との和解金を用意するよう要請したが、貢立はこれに応じることができなかった。

そして、同年七月二二日原告の請求を棄却する判決が言い渡され、同年一二月八日右判決に対する原告の請求を棄却する判決が言い渡され、その後、右判決は確定した。

(五) 貢立による本件金員の費消

貢立は、被告から受け取った九二〇〇万円に手持ち資金を加え、シーフーズという会社とロシアとの魚の取引に対し投資したが、同年一一月ころまでに、投資した金員をすべて失った。

なお、貢立が、事前に、原告及び被告に対し、右投資の具体的な内容を教えた形跡はない。

4  訴訟③の帰すう

被告は、平成六年五月二五日訴訟③の訴訟代理人を辞任し、同年一〇月一三日北陽住宅の請求を棄却する判決が言い渡され、その後、北陽住宅の控訴及び上告がいずれも棄却され、右判決は確定した。

5  本件建物の明渡し

後藤は、本件建物を占有していたトキエに対し、本件建物の明渡し等を求める訴えを提起し(千葉地方裁判所松戸支部平成五年(ワ)第五七七号事件)、平成六年六月一六日原告に本件建物の明渡しを命じる判決が言い渡され、同年一〇月三一日右判決に対するトキエの控訴を棄却する判決が言い渡され、その後、右判決は確定した。そして、後藤は、平成七年六月八日右確定判決に基づき本件建物の明渡しの強制執行を行った。

6  懲戒処分

被告は、本件に関し、平成九年一二月九日東京弁護士会より業務停止四か月の懲戒処分を受けた。

二  右一の認定判断に対し、原告代表者の供述及び甲第一七号証の記載中には、「被告は、平成四年一二月一八日トキエに対し、被告②は原告が一億円を用意できれば和解ができると言った。」という趣旨の内容部分が在し、これに沿う証拠(甲第九号証、第一一号証)も存するが、原告代表者自身、近藤から後藤が一億二、三千万円を要求している旨聞いたと供述していること、後藤作成に係る二通の書面(甲第九号証及び第二号証)の内容は相反しており甲第九号証により高い信用性を認めるべき合理的根拠が存しないこと、トキエが本件覚書に押印していることなどの事情に照らせば、原告代表者の右供述等は信用し難い。

三  以上の認定判断を前提に検討する。

1  訴訟委任を受けた弁護士は、依頼者に対して、委任事務処理に関し善管注意義務を負うが、具体的にいかなる義務を負うかは、依頼者の意思及び属性並びに依頼者と弁護士との法律的素養の差異などを考慮して決すべきものと解される。

2  そこで検討するに、トキエは、自らホテル経営などを手掛ける事業家であり、かつ、甲第一〇号証への押印を拒否していること(甲第一七号証)からすると、トキエが本件覚書に押印したのは、その内容を十分理解した上で、これに納得したからであるものと推認できる。また、トキエは、高齢の女性ではあるが、右のとおり自ら事業をなしていることからすれば、その経済的判断能力が通常人より劣っているものとは到底いえない。

そして、訴訟②の和解金をいかに捻出すべきかの判断は法律的素養の有無とは直接関係なくなし得る事柄であるから、近藤ないし貢立の素性などを考慮しても、被告において近藤が本件金員を費消する現実的な危険性があることを具体的に認識していたことを窺わせるような事情が存しない以上、被告が原告に対し、近藤への本件金員の交付を思い止まらせるように助言するなどの義務を委任契約上負うものとは解されず、むしろ、被告が近藤に対し鈴縫から受け取った本件金員を交付したことは依頼者である原告の意向に沿うものである。

したがって、被告が近藤に対し、本件金員を交付したことが委任契約上債務不履行責任を構成するものとはいえない。

3  また、原告は、平成五年一月当時、訴訟②については後藤に対し一億円の範囲内の金員を支払うことで和解が可能だったはずであるのに、被告は、和解を成立させる努力を怠ったなどと主張する。

しかし、そもそも、一億円の範囲内での和解が可能であったことを認めるに足りる的確な証拠は存せず、貢立に対する本件金員の交付は、必ずしも、被告が訴訟②の和解交渉を放棄したことを意味するものではないから、この点に関する原告の主張は失当である。

4  右に述べたほか、被告の債務不履行責任を基礎付けるに足りる事情が存することの主張立証はない。

なお、原告は、委任契約上の債務不履行とは別に被告の善管注意義務違反を主張するようにも思われるが、委任契約上受任者は善管注意義務を負うものとされており、善管注意義務違反の主張が委任契約上の債務不履行の主張以上の格別の意味を有するものとは認められない。

5  以上によれば、原告の本訴請求は理由がない。

(裁判長裁判官土肥章大 裁判官小野洋一 裁判官馬渡直史)

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